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Indonesia 1

アパカパー!! (こんにちは) Nama saya keiko dari Jupan.

インドネシアもタイと同じぐらいからの訪問国になっていた。 何も知らないで上司と一度入国したインドネシアで待ち構えてたものは===上司のパスポートの期限が6ヶ月無かった為に、入国審査で足止めをくらい、数時間、私は上司を待って空港に待機したことがあった。 いやーな雰囲気、 審査官の別室に連れて行かれて 数時間! 私は別室の外で待機。 最後は!!もちろん。

他 一番の問題はやはりサンプルだった。 何時も200枚ほどのサンプルをハンドキャリーで持参していたわたし。 当事はカルネ、簡易通関まったく通用しない国でした。  女性一人で入国、即刻別室行きが待っていました。 2-3時間は拘留が当たり前。 最初はちんぷんかんぷんで、何がなんやら、 まあ無知な私でした。 最後はもちろん袖の下の$でした。 数回、レシートをくださいなんて とぼけたことを言ってしまい、また拘束時間が延びたこともあった。 

これで何時もインドネシアの入国時の私の消耗エネルギーは90%以上! それぐらいかな、同じような境遇で我慢強く入国していたけど、やっと取引先を開拓して、それからは私の入国前のエネルギー消耗率はは30%ぐらいになった。

またスーツケースも結構危なかった当事。 バゲージクレームからかばんを! あれ白いチョークで何か印が付けられている??  これがまた厄介でした。 白いチョーク=絶対税関で開けられるようになっていた。 

知らないで1度開けられたことがある。私の友人は電気かみそりを盗まれた。 私はいつものように着替えや書類の山なのでたいした物は入っていないけど、金属性のものが入っているときには要注意でした。 危険というよりは 税関さんたちのーー稼ぎ。

空港にはエアコンもほとんど効かない状況で インドネシアも空港から出るまでには私は何時もびっしょり汗ばみていた。 

2-3度のインドネシアの渡航で 市場リサーチをし、やっとクライアントを見つけ取引スタートするまでの1.5年間はよくジャカルタに通ったもんだ。 10年間以上は年間、最低4回ぐらいはジャカルタに通っていた。 

取引先のクライアントはインドネシアチャイニーズ! 信用という文字が何時もどこかにあるので安心。
でも、インドネシアの市場を知らなかった私、あの15000ほどある島々、人口約2億人、 クライアントや営業マンと 車で数百キロをあちこち走り、街から街へと営業について行ったり(もちろん泊りがけです)、屋台でご飯を一緒に食べたり、 本当にいろんな経験をしながら、市場を開拓した。

地方のホテルでは ヤモリと一緒に寝たこともある。 夜中にヤモリが泣くんですよ。 生きた心地がしなかったなああ。 でも今にしてみれば良い思い出ばかり。   

そのクライアントや彼のファミリーとは仕事を辞めてからでも交流がある。 よく電話で 元気コールや元気メールをくれる。 ありがたいことだ。

私が入国した当事は スハルト政権が権力を握っていた頃、 まあ聞けば聞くほどすごいわあ。 
プラスの面もマイナスの面も学んだインドネシアという国。

Hi from keiko!
I know my writing in English is kind of behind of Japanese.
well, I got to to do it.

When I made my first visiting in Indoneshia, I was being with my boss and unfortunently his passport expiry date was less than 6 months. It means that he can not get into the country which he did not know anything about either our travel agent did not inform him.

We stuck in the air port( well, I was in the air port somewhere and he was in the speical room?)
I am not sure how many hours it took to get out from the air port, at least 3-4 hours?

From 2nd visiting, I just was being alone and I was held so many tims because of carried samples with me. I brought Carnet, doumentations with JP government and all kind of documents I brought but----. They put me into the speical small room every visit and started asking so many question and then asked $. I once asked them to give the receipt which I was so stupit because I did not know about bribe at all. Well, I learned a lot from my each experience and also sometime luggage was marked by white chalk. It means that custome officers open those marked luggages and anything inside, bring to another room to $.
One of my friend's shaving machine was stolen during that procedure.

Every trip, my energy around 90% were gone during above and then started serching and visiting new firms to open the market.

After 1.5 years later, I found the very good firm and started dealing with. Then they helped me out during airport procedure with less headache.

My visiting Indoneshia was kind of tough because I was only a woman from Japan to do sales and marketing at that time and non of them were trusted. But I kept visiting and knocking their doors and finally started dealing with.

I also visited their clients with their sales person by their car like 3-4 hours, sometime flew to another island to visit their important clients with them.

During visiting another island for sales and marketing, I stayed at a hotel and there was geckos in my room. I was so scared to be in and sleep. They cried during night time ! I still remember those days!

My clients were so nice and they are still contacting me even I left from the firm many years ago. How great I got special firends in Indonesia and I am very lucky person!

to be continued.



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Kingdom of Thailand 2

ソワディーカー!

私が通っていた当事は、今ほどタイブームではなかったかも。 今はタイ雑貨が溢れるぐらいあちらこちらで見られる。  

タイで買ったものって? 昔はJALのスチュワーデスが持っているとかーー。 大きなリボンのついたかばんが売れていましたね。 私も今でも持ってます。(物持ちが良いと言うか、 愛着があるので)

あと ”すいか”という小さなお店が ホテルの近くにあって、そこでよくかわいいTシャツを買いましたよ。 今でもあるのかな? 

他思い出すのは、パップーン通りに連れて行ってもらって面白い雑貨をたくさん見たこと(買わなかったけどね)や ROBINSONデパートに行ってぶらぶらしたり。 

よく一人であちらこちらに汗まみれで歩いて 現地の商品のことや、嗜好、 価格、原産地など調べ歩いていたあの頃。  きっとその積み重ねで タイのクライアントもいろんな情報を私にくれたんだろうな。 

ソンクラン祭りの時はとても素敵でした。 〔タイの伝統的なお正月)
 songkran fetival

ロイ・クラトン(Loi Krathong)の時も素敵だった。
 Loikrathong
数回 お花で飾られた灯篭を見に 連れて行ってもらった。 このときに歌う歌がまた素敵だった。 音楽だけはまだ耳に残っている。

一度だけ戒厳令が出ていた時に入ったタイ。 このときはさすがに 自分自身でも気をつけましょう!ということで一人ぶらりはしなかった。 

空港にもミリタリーが銃を担いでたくさんいたし、ホテルの周りにもたくさんいた。 クーデター出るという情報があったようで、 そのときの出張は緊張ムードの私。 飛行機に乗ったときに、やっと安堵感!

どこの国にも行かないほうが言いというところがありますし、今はちょっと危険かもといわれたら、やはりその通りにしたほうが無難かも。 現地の人に聞いて、危険なところは行かない方が良いとおもう。(私の経験から)

でも タイって私の大好きな国の一つです。  またいつか行って見たい国.
タイのイベント

The days when I went on my biz trip to Thailand was not like nowadays which many people deal with Thai goods to sell through internet shops.

Well, what I used to buy goods in Thailand were simple bag with big ribbon ( made of fabric) and
a flight attendant of JAL carried those bags. I also one of them to buy or asked to buy by friends a lot at that time and I still have 2 bags for myself even now.

The rest of shopping places were like Robinson department ( local department with very good prices) and a couple boutique near Siam square and the street with a lot of street venders.

I did not mean to chose biz trip during festival in Thailand but I often visited there during Songkran festival and Loi Krathong festival. I still remember beautiful decoration here and there and
people in Thailand respect those festivals deeply what I felt. It was very beautiful and peaceful moment to see those festivals and I spent a couple times with my clients families, too.

I would love to visit Thailand one day if it would be possible and want to walk where I used to walk around the cities and to see my friends there.

Kingdom of Thailand

まず タイへの出張。 1992年ごろが最初の出張かも?大昔の赤い表紙のパスポート探さなくちゃ。

へええ知らなかった スワンナプーム新国際空港というのが出来ているんだ。 多分このブログを書き始めなかったら 私の知識は昔の ドンムアン旧空港しかしらなかっただろう。

サンプル(眼鏡の仕事をしていたので)をケースの中に入れて、そして大きなスーツケースの中には書類やら着替えなどが入っていたあの頃。 30キロぐらいあっただろうか。 

超ヘビーなスーツケースを持って 電車の駅の階段をあの荷物を持って ひいひいはあはあ言いながら 当時は大阪伊丹空港だったかしら? 出張を始めて5-6年してから 一度背骨をこれで傷めました。 しばらく重い荷物は厳禁というDRからのおさっしがーーー。 

飛行機の中のすごし方= ひたすら映画を見ていました。 

そして到着!! いつも持参のサンプルが税関で引っかかり、これが入国時のストレスでした。 書類をきちんと持って行ったり、カルネを持参していればまあ何とか出してくれた国の一つです。

タイ国政府官公庁

エアコンのあまり効いていなかった当時の空港、税関を抜けると何時も汗びっしょり(悪いことしていないのになあ)。 

BKKの空は何故かいつも、どんより空だったなあ。〔雨女と言われるようになっていた当時)
雨季と乾期ではちがうけどね。 多分乾期の時には青い空もたくさん見たんだろうな。

BKK 市内のお寺


空港から仕事先とホテルのあるバンコック中心街まで 当事はタクシーで2-3時間もしくはそれ以上かかった当時。

ボロボロのタクシーに乗ったこともある。 不安いっぱいで後部座席に乗っていたこともある。 
とにかく あの交通渋滞は異状としか言いようがなかった。 へとへとに疲れて Siam Squareの
ホテルにたどりつくのは何時も夜。  何もしないのに冷や汗と排気ガスの匂いが体にむんむん。 
シャワーを浴び さあ晩御飯はどこに行こうかなって何時も一人で考えていたが、タイ料理を食べれるのが とってもうれしかったタイへの出張。(単純でした)

こんな調子で何度もタイには足を運び、最初はかたくなに拒まれていた企業も、かなりしつこかった私に ドアーを開いてくれた。  

マイペンライ、 ソワディーカー!! カップンカーなんてね。 
もちろん 現地の人たちと一緒に営業をしたり、あちらこちらのお店に行って売れ筋はなんて調べていた私。  日本では売れている商品でも、海外に一歩出れば、かなり違う!ということを何時も帰国して説明するのに ものすごく時間がかかった。 それにはやはり結果を出すのが先決。

タイで御世話になった友人たちへの感謝と、そして私のトムヤンスープが大好物だった 
恩師に感謝します。 
彼に商品のことやら いろんなもろもろの相談をしたり、ほんとうに
心強い先輩でしたし、彼もタイが好きだった人。 
ご冥福をお祈りいたします。

BKK river


My first trip alone was to Thailand what I guess? (because too many years back and hard to recall it cleary).

I did not know until the day when I started writing this blog. New air port, The new Suvarnabhumi air port is now open but still old Don Muang air port has been using because unexpecting problem.
BKK international air port

After get out from the air port, it took around 2-3 hours to reach the center of BKK where my accomodation will be. Always crazy trafic was waiting for me. I know Thailand had aleady started having new project 、sky train(BTS) and high ways etc at that time but people said it took many years to build. I have no idea what like because I have not visited Thailand more than 10 years or more? now. I know many changes and I know still some of places are the same----.

I used to stay in Novotel hotel in Siam Square because it was very closed to visit our client's office and avoid also heavy trafic. I changed the accomodation many times but the first one was very comfortable to stay and felt at home.

Most of biz meetings were taken around 1 day and I involved many projects as well as follow up all biz or production side,too. It means that I used to stay in BKK for a few days with full of meetings myself. I got heavy tention and stress but enjoyed eating foods afterword made me feel happy:) What a simple human being I was and I am!

Well, my favorite time was Lunch time with my clients!!! They brought me nice or local restauants to eat really Thail food. but, but, as biggining, I got stomachache and diarrhea because too spicy foods for me.

I had to use medicine from Japan often.
I sometime still cook Thai food even now.

I am not sure how many times I paid my visits to Thailand but all of my clients treated me like one of their family memebers and they were so nice to me compare to my 1st visiting. Sometime they brought me to see thier families, houses and friends. Generally people in Thailand are gentle and warm. The way of talking or speaking are soft touch and respect each other which is my 1st impression.

I appreicated all of their friendship with me and worked with me in Thailand. I still remember many great memories in my mind. Uncomfortable unplesant memories have gone somewhere.

I also would like to express my appreciation to my mentor whom I used to work with in the same firm. He was a one who helped me and taught me a lot about products and how to deal with people in the firm. He also liked Thailand and his smiling face will never forget when I cooked Tom Yan soup for all of our staff in the firm. I am a good cook for Thai food !

さあ 就職!

帰国してから ボスにも報告した。 うれしそうな顔でご夫婦で私を迎えてくれた。 もちろん渡航中も時々手紙をいただいていました。 当事はメールはまだまだ普及されていなかったし、デジカメラも無かった時代でした。

2-3ヶ月は多分、仕事探しでした。 東京にも夜行バスで面接に行ったり、地元の友人たちにも心当たりをさがしてもらっていた。 そんなときに 福井県のA社で面接をしても良いということで行ってみた。 話はとんとんと進み、当事誰一人として女性の営業がいなかった営業職で就職。 業界について何にも知らないで入った私、何とかなるさーーー。 これB型の性格? 業界でも女性の営業職は多分私が初めてだろうって皆さん言ってました。 まあ良いか。

当事のボスは、夜型の方、遅くまで会社にいること=仕事をしているのが美徳?妙な価値観の方でした。 典型的な当事の日本の男性かも。 

夜と言ってもね、11時、12時は(夜中ですよ)当たり前でした。 でも時々、今日は帰りますなんて、堂々と一人で帰ったこともありますし、人間の集中力っていうのは限界があるということも何かの本で読んでいた。 だらだらいてもねえ。 この辛い過酷な時期が2年ほど続きましたし、 あんたは女性だからとか言われて、出張にも出してもらえなかった2年間。 会社でもよく虐められたりして泣いたもんだ。  虐められるたびに、強いハングリー精神が ”めらめら”と体から湧き出てきた私。

でも くそおおおおおが何時も私の頭にあり、今に見ていてくれよ、男性諸君!
2目年目から 東南アジアに出張に、ボスと同行し始めましたが、やはりどこも風当たりはきつかった。女性だから? いや違う 他の理由からだ。 

生まれて初めての東南アジア(香港だけは アメリカから帰国時に立ち寄ったので知っていましたが)にはカルチャーショック。  とまあ 一人で出張に行き始めたのは2.5年目ぐらいからでしょうか?
だって2人で行っても 経費は倍、売り上げは2倍になるわけでもなく、気を使いながら上司と行ってもねえ。 

とまあ一人で行かせてくださいと直談判した当時。 怖いもの知らずというか、かなり若かったので。

二言目には あんたは女性だからとか言われていた時期を何とか逆転させたかった。 アメリカだったらセクハラだああ。 〔ココは日本だと言われたけどね)

I was in the US for almost 2 years and I returned Japan in 1990. I could not stay more than that because my saving was almost zero.

As soon as I returned to Japan, I went to see my ex-boss and his wife and they were so happy to see me and asked me about my student's life in the US.

Anyway, I had to find my job ( career) and I went to Tokyo by a bus to get job interview.
Also I asked my friends in Fukui to find any possiblities on my working place.

I went to a firm to get a job interview in Sabae one day and I explained to a biz administration staff what I wanted to work and wanted to do. I wanted to work for a firm as marketing and sales in overseas at that time and the firm hired me.

----. It was mens dominated filed and non of women worked as sales or international div. for sales and marketing. I used to stay in the office until very late because there was very old idea remained the division which I could not understand at all but I had to follow others. But sometime I left ealier because I just could not concentrate myself into paper work from 8 AM until 11 PM every day! I had a big question at that time.

It was around 2 years to learn new filed and products and started traveling with my boss in S. E. Asia. It was my first time to visit S. E.Asia except HK. I got culture shock and most of firms did not concern about us and also some firms were hardly open their doors or even made an appointments. I found the reason later--.

2.5 years later, I asked my boss to travel alone to overseas because we had to save our expensive and I felt we had to make double sales if we travel 2 people. During that period, I was often told by the biz administrators or manager you are still a woman. So what?? I argued a lot at that time because it was not understandable for me. I wanted to make a good sales and better perforance compare to other men's staff which I told myself every day!! Of course, some of my co-workers were so nice and taught me a lot about products, how to approach clients and solve problems etc which I still respect them and was lucky to meet those co-workers during my hard time.

First of all, I started traveling in Indonesia, Singapore and Thailand at first.



アリゾナへ!

ユタ州からアリゾナへ移り、しばらくアリゾナ州立大学のアカデミックコースに通い、それからビザをもう少し伸ばして、 地元のカレッジの短期コース、といっても1年だったけど。1989-1990

アリゾナではいろんな友達ができたし、今でもお付き合いしている友人たちもいる。 
やはりアリゾナでも趣味は ジョギングでしたね。 フェニックスにある Squaw Peakという小さい丘に、 当時あちこちのマラソンに出ていたランナーとお友達になり、一度一緒に山を駆け上がったことがあります。 ひいひいはあはあ。 そのときの写真です。
Squaw Peakへの過酷なジョギング登山。 夏はなんと50度(たしか 120Fまで掲示板で見た)ぐらいの気温だったけど 乾燥していているので 日本よりは暑い? いや暑かった。 日中は まじで
黒い車の上で 目玉焼きが出来る〔一度友人がやった) そして 窓を閉めておけば ガラスにクラックが入るほど。

ハイキング


また ジム通いもしていました。 学生だったので安く入れ、 学校と、図書館、そしてジムの往復日。
ジムでは 最近有名な ビリーキャンプのようなクラスがあり、毎週、私は中毒になったように通っていました。 途中酸欠でめまいがした時もあったし、 とにかくそのクラスの名前が” Strickt exercise"
ミリタリーでしているようなものだって仲間が言っていましたね。
そのときの私の体重52キロ、逆三角形!! 大昔の栄光!

友人に連れて行ってもらったアリゾナ州の州のお祭り
ステートフェスティバル


学校ではやはり日本人は私一人だけだった当事。 たくさんの友人たちに勉強をヘルプしてもらったりしていました。  大変だったけど、自分の貯金をはたいてきたんだからーー というのが何時も頭にあった私。 貧乏性は今も変わらない。

After studying English in Utah, I moved to Arizona with my girlfriend whom I met in Utah together and attended ASU for a while. There was not many Japanese students in ASU at that time and around my place.

After finishing 2 semesters, I decided to enroll a private collage with 1 year course.
I was only Japanese student in that school and I had to take all of classes in English ( of course) and it was tough to follow some classes. However, a few friends whom I made during taking the course, they helped me a lot after classes even most of students were working or taking part time job after classes. Well, it was tough period but I learnd so many things and made a lot of nice friends in AZ.   It is terrible hot weather during summer time but it is super nice weather during winter time and many snow birds come to AZ during winter season.

During summer season, the temparture would be over 115F and one of my friends tried to make sunny side egg on his black colored car. Wwwwwww, it is really hot! and we must winder open a bit otherwise, winder glasses would be cracked sometime.

When I stayed in PHX, I kept jogging every day and also got a memeber of a private gym near by. Every Saturday, there was a strickt exercise class and I took it. It was around 1 hour class and the exercise was like current Billy boot camps ;) like push up 50 times, squat 50 times etc. made most of attended people needed to get a big breath often and drink a lot of water because we sweat a lot. But kind of enjoyement and felt accomplishment after tough class. When I left for Japan, I met the trainer and he gave me a special T-shirts written Strickt Excercise that I have it even 20 years later.

I made many friends in AZ and some of them I still contact and I also made a close girlfriend with whom I have been contacting. She now lives in FL. She helped me a lot extend to stay in AZ as well as later stage whenever I visited the US, I stayed in her house in Seattle, NJ and FL etc. Following like my elder sister!

Thanks for your to help and being my friend!

I finished my studying and then left for Japan in 1990. Because my saving was almost gone!

Utah's sky

三十路を前にして 渡米することに決めた私。 それまで働いていた会社のボスからいろんなことを教わり、そして英語が話せたら良いな? 海外を見てみたいな?なんて何度かボスに話したら、 行っておいでよ。 行けるときに行くほうが君のためだよと 背中をポーンと叩いてくれたボス。1988渡米

彼は数ヶ国語話せ、職場にもよく外国からのクライアントが来ていた。 海外に長い間暮らし、世界中を仕事で回ってきた凄腕。
私のような赤ん坊には対等にお話なんてーーー。でも下で働いていた私は、あれこれ勉強させていただいた。  職場にクライアント? 英語まったく話せなかった私、お茶を出す程度ぐらいだったなあ。
話せたら良いなあってよく感じていたあの頃。

いろんな渡米の手続きをして、いざ渡米。 最初は1年間の予定で渡米。 ひたすら働いてためたお金を外貨貯金し、母に私の通帳から送金手続きをお願いした。 

両親もよくあの年齢で私を出してくれたものだなあ。 自分で決めたんでしょう? 行っておいでってね。 もう婚期は送れてしまっているので、それ以上は言わなかった両親。 本当に感謝。

行き先は 知人の紹介で Utah州のプロボ。 来て良かったのか?? 大学には日本人がたくーさん。 これでいいのかなの毎日だったけど、英語の発音や基礎的なことはみっちり勉強できたかも?
Utah州の空はちょっと私にとっては霞がかかっていたような。
学校の前で

と考えながら半年経過。 でも秋の空はすごく澄んでいてきれいだった。 

ちゃりんこを買って 学校まで通う日々、冬は徒歩もしくはバス。 運動といえば、大学の室内運動場でジョギング、たまに一人でスキー場に行ってスキーをしていたなああ。  

なんとなく孤独の日々が多かった思い出がある。 

I used to work for a great boss who told me about the world a lot. He spoke so many languages himself because he had lived in so many different places and worked in different fileds before he touched to Japan.
I sometime told about how nice I would speak English and how nice I would see the world to him. One day, he told me that why you don't to go to the US youself to see and you should go if you would like to do. Whenever you would have any chance, you should grab it.
So I made up myself to go to the US for stuyding myself.

I went to the US when I was 29 years old and my first studying place was in Provo, Utha.
I did not know anything about the place but I found so many Japanese were there to study.
I did not have any interests about religion at that time. But I realized that place is---.

I came to the US for studying!

Whenever I got time myself, I went to the gym to jog or run, I went to ski myself during winter season because nothing to do. Well, I stayed there around 6 months and well, enjoyed having student life myself there.

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

やはりB型人間?されどB型 ( my blood type is B)

多分 私は典型的なB型人間?  B型の方にもたくさん縁があったり、御世話になったりーー。
とても面倒見が良かった方が多かったように思う。  

ちょっと変わっている? いや思い込んだらとことん頑張るところがあり、興味の無いことにはあまり中に入っていけなかった私。 まあいろんなB型人間がいるから 私を例えにはあげれれないけどね。

私と妹 両方B型だが、性格はかなり違う。 いやぜんぜん違うなあ。  でも姉と妹だからいろんな話をしたり、また姪っ子が2人もB型なので、ユニークな彼女たちを見ていると やはりB型だわと感じることがある。

私が最初に海を渡ったのは 私が27歳の時でした。 何故って?ハワイホノルルマラソンを走る為 +サンタバーバラにいる知人に会うためだった。 

JAL HONOLULU MARATHON

マラソンを走っている途中も、ずっと青い空は前にも後ろにもあった。 ゴールは青い空!
無事に完走し、感動の涙と喜びに溢れたあの時。 若かったなああ。 といっても最近は100歳を越えた方が マラソンを完走したそうだとかニュースに報道され、 まだまだ私は彼から見れば子供かな?

12月のハワイの空はものすごく澄んでいて ブルーでした。 
サンタバーバラも同じく カリフォルニアブルースカイ!! あの感激と青い空は今でも覚えています。

きっとあの時から 私の空はまるで 何時も私を見守ってくれている気がする。

My blood type is B and generally B type would be a bit different from other types what people said. Well, I am very much typical B human being what most of my friends told me because whenever I want to do something, I do it and think. Also I was full of curiosity until the day before we moved the current place.

Anyway, around me, there are many blood type B friends and we have very long term and good relatinoship together even live in different countries.

I used to jog a lot during 20's and I made up my mind to run Hawaii Honoruru Marthon when I was 27 years old. I was running under wonderful and beatiful blue sky. Blue sky always followed me and heading me. Finally I finished the goal and full of joy myself.

Then flew to California where my friend introduced me to see her friends. I visited Santa Barbara myself and stayed in a great host family who used to teach at UCSB as prof. and also visited my friend's friend, too. Well, I was cheeky?? but they are still being my great friends whom I contact or send X'mas cards so on. How nice friends to be and have great friends around me.

The sky in Hawaii and Ca. were beautiful which I still remeber many skys.

Santa Barbara CVB

やはり書こう



This is my favorite song that brings me to recall so many memories in past as well as the sky
knows when my life will be.

Since I got to know this song, I made up myself to write about my footstep which I walked through in past and want to remember the days when I saw different color of sky in this world.

Before starting my blog,  私が今ここに存在することに対して、両親と妹に感謝です。 そして何時も応援してくれてきた 海外の親友、友人たちにも感謝を込めて 少しずつ私の思い出を書こうと思います。

テーマ : 健康が一番♪
ジャンル : ライフ

プロフィール

sorawamarude

Author:sorawamarude
いろんな夢を持って 海外に飛び込んだ若い頃、やはりB型だわとよく言われた私です。
I had a lot of dreams when I was working and visited so many countries as my biz trip let me open my eyes to know the real world.

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