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アメリカ

仕事を辞めて 2002年の2月から2004年の5月までテキサスのダラスに在住! パートナーが仕事をしていた都合で ダラスに。 

うれしかった。 またアメリカに住める!! でも不安も一杯あった。 だって2001の911があり、ビザもなかなか下りなかったし、 かなり厳しいセキュリティーの中でのフライトや生活。

私も仕事ができればとビザを現地でアプライしたが、OKが出たのはアメリカを出国する数ヶ月前で結局仕事は何もしなく、主婦業、学生、そしてボランティアに明け暮れたダラス生活。

テキサス、30代の時にアメリカに留学した頃も行っていなかった土地。 縁もなかったし、チャンスもなかったところ。 

ダラスは大きな都市であり、やはりBUSH STATEといわれるだけに G。BUSH 通りとかもあった。

砂漠の中の都市、アリゾナと同じぐらい暑かった!!  最初は慣れるまでに時間がかかり、テキサスのアクセントを聞き取るまでに時間がかかりましたね。
そして 結構保守的な人が多かったように感じた。 やはり共和党が多い洲です。 
半年ぐらいからやっと生活にも慣れ始め、 友達もたくさんできたし、学校にひたすら通い続ける日々。
最初は住んでいるアパートの近くの コミュニティカレッジに通っていたけど、やはりもう少し刺激というか、きちんと勉強したかったので、 高速を飛ばし、コーリンカウンティコミュニティカレッジに1年ちょっと通いました。 

英語のほかにいろんな講座も受けながら、 厳しい先生もいたけど、逆にそれがとっても私にはプラスになったと思います。 

WRITITINGのクラスの先生、 厳しかった! 試験は大体3時間ぐらいかかった。 辞書は英英辞典のみ持ち込みOK。 テストTesting room に座って私は4時間いた試験もあった。  
書くことって本当に難しい。 でもすごく緊張、そして勉強できる幸せを感じ取れた彼女の授業でした。
Collin Country Community College

陶芸はなんとダラスの友人の影響で始めた。   まさかこの歳になって陶芸? いやはまるんですよ。
轆轤を使い出すと、これがまたのめりこんでしまうB型の私。  

ALLENという地区の高校で、夜から一般向けにクラスがあると聞き、それに2ヶ月ぐらいかな、週1回で2ヶ月ぐらい通った。 

そしてそのクラスが終わり、家から高速道路で30分ぐらいかかって コミュニティーカレッジの 
陶芸コースも取り始めた。 みんな友人がいろいろと情報を私にくれて、彼女のアパートで
轆轤を回しながら教えてもらったこともあります。

Brookhaven college Brookhaven college

懐かしいなあ。 やっと思い出した学校の名前。 朝10時ごろから夕方4時ごろまでひたすら轆轤を回しに行った日々。 一人でひたすら、とにかくのめりこんでしまった日々、そして陶芸。 この学校では、毎日通って練習しても良かったので、私はクラス以外に週に数回は通っていた。

自分が何が作りたいか、何ができるのかまったく??でも何かができる、発想する楽しさ、作る難しさを学んだ。  
たくさんの焼いたものは、アメリカを出るときに友人たちに 貰ってもらった。 私の思い出として。

Richardson Woman's centerというところにも通っていた私。 ネイティブのアメリカ人の女性たちと直接触れ合いながらいろんなことを学んだ。 バリバリの90歳の女性! 
昔ダラスがITで発展し始めた頃に私の友人のメアリーたちが設立したセンター。
旦那さんたちは仕事で一日中会社、奥さんたちは 他の洲から来てやはり孤独感を感じた方々が、
センターを教会の一室に集まり始め、そしてそれがどんどん定着していき、女性にもできることをしようという目的で いろんなイベントを行い、そしてボランティアとしてDVから女性を守るために
もしもし電話などもされている。 

いろんなキャリアーの経歴を持ちながら、社会にまた自分のキャリアーをと ボランティアをされている女性たち。 今でもよく メール交換をしている。 私の母ぐらいの年齢の方がほとんどでしたが、年齢なんてまったく感じられない彼女たちのバイタリティー、本音で話すし、人を思いやる気持ちは日本人以上だと思う。 

私が一番年下で、まあ力仕事はあれこれできた! 折り紙を折ったり、 日本のことをいろいろと話したり とにかく英語でしゃべらないとじゃないけど、 英語だけの世界。 週1回はポットラックランチの日もあって、みんな何か一品ずつ持ち寄って わいわい話しながらランチを食べた思い出。


運営費は自分たちで稼ぎながら、年2回 お花を仕入れてきて販売したりもした。 
ダラスでの想い出を語れば、 エンドレスになるだろう。 それだけいろんな経験ができ、友人ができ、そして 勉強もできた。 あの頃がとても懐かしい! 時間が止まってくれればと思ったこともたくさんある。 

やはりアメリカは大好き。 20代からあこがれていたアメリカ。 日本のようないろんなしがらみがなく、率直に人と話すこと。 それが私にとってはすごく楽であり 自然体だった。 

日本人のコミュニティーにはテニス以外には入っていなかった私。 テニスは ダラス日本人会でテニス同好会があるのを見つけ、入部した。 1年ぐらい必死に練習し、毎週土曜日の午前中に アパートから40キロほど離れたコートまで車で行き、そこではいろんな日本人の方と知り合いになれた。
駐在の方、アメリカに住んでいる方などなど。  鬼?コーチに特訓され、必死で(この歳で 必死に練習したテニス)ボールを打ち返したりした。 
暑い夏も汗まみれになり、真っ黒になりながらテニス!! よくもまあやったもんだなあ。でも楽しかった。

ほか、高校の日本語授業のボランティアも半年ぐらいだっただろうか、させていただいた。 
現地の高校生といろんな話もできた。 今でも覚えている男の子。 高校を卒業したらどうするのなんて聞いてみたら、国のために兵役に就く!! この言葉が忘れなれない。 ダラスにいる間に、イラク戦争が始まり、毎日のように、戦争で亡くなった兵士の写真と年齢がテレビに映しだされていた。
本当に若い青年たちがと毎日胸が痛んだ日々。 家族はもっと辛い。 よくアメリカの友人たちと戦争や、大統領のことなどを話したもんです。 (ほとんど他州から来たアメリカ人が多かった私の友人たち、反共和党だからストレートに話す。=でもオープンなところでは話さなかったけど。)

9.11の後はやはり入国が厳しくなり、アパートなどにもよく注意書などが入っていた。 テロに備えて ダクトテープと 水を3週間分は準備しておいてくださいとか。 懐中電灯も買いに走った私。
やはりそんな予告がはいると、お店には人が殺到して、ほしいものが一つも無かったこともあった。
回りには モスクもたくさんあった。 でも私の友人にはイスラム教徒も多いがみんな恩恵派で、
本当にいろんなことを夜遅くまで話したりした。 


短い期間のダラス滞在だったけど、友達はたくさんでき、行動範囲も大きかったなああ。
とっても私には幸せな時間。 


I had a great period in Dallas, TX from 2002-2004. My partner was working there and I followed him. At that time, after 9.11, it was very difficulty to get visa going to the US.

I had never stayed in Dallas and it was my 1st time to stay there. So it means that I had no friends nor people whom I know. But I have many friends in the US so I kept contacting via internet. All my friends tried to help me out when I faced some question such as buying my car and finding good insurance firm so on.

Dallas was just huge place and we stayed in an apartment which was tight security and located north of Dallas area.

I first of all, tried to find out a place where I can study English and started taking some classes at a community college. I studied near our apartment but I cold not feel satisfaction to study and them moved to another community colleges.

I enjoyed studying Engilsh and other classes at CCCCD.
Mostly I was trying not to involve Japanese community and I found Richardson Woman's center near our apartment one day. Because I felt lonely and wanted to do something beside of studying. I visited there alone and very kind lady, Mary attended my visiting and she tried to explain how Woman's center set up and what kind of purpose this center is so on to me.
I at least two times in a week to visit and enjoyed talking to ladies. I sometime did volanteer work with them. I was only Japanese and I had to communicate them in English. It was good for me to learn and brash up my English there, too.

I learned many things from ladies and American life.
They treated me very well like one of their family and I also talked to them many things directly.
This is what I feel very conformtable to stay in the US because people talk very frankly instead of having some different thought in heart. This is the reason I do not understand about Hone to Tatemae. Many people in Japan do not disclose their real intention from their mouth.

Potery also what I started learing from Dallas life. I met one Japanese lady and she has been making potery and she has own Rokuro in her house. So I slowly started getting interesested in Potery and finally I also started taking classes.

When I used Rokuro, I just forgot time and concentrated only making potery. I sometime went Brookhaven college 3 times in a week or more to learn how to make. Sometime I could not make any and sometime I made a couple stuff.
I had never interested in potery in Japan but I did it in the US.

I made many friends in Dallas and I enjoyed sharing many things and debated about on many subjects.
When one of my niece was very sick, they kept praying for my return and to my niece.
I flew to Japan to see her and hug her in a hospital. During my visiting Japan, I felt their strong prayer and love to us. I am sure my beloved niece in the heaven felt, too. I was right to be back to Japan to see her before she weht to heaven.

When I came back from Japan, they hug me and cried for her. How warmful women they are. I was very lucky to be involve in such a wonderful group and met ladies.


It was very short staying even almost 2 years and my life in Dallas was just enjoyable and great.
I still communicate my friends in Dallas and I miss them a lot.

I love the US and the US is my 2nd home town. Of course, it was a big diffrences compare to when I had flew 20 yeas ago alone. But my dream come true and I would love to visit the US again in future to trace my footsteps.

I keep praying all my friends's good health and happiness.
from keiko
When I have some difficulty or sad time, I email them and they email back to me and pray for me.
What a great friends I made there and I wish I could meet them again!

When we were about to leave for Japan, they made a farewell party for me and so many memories came back to my mind even now.

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My sky in the world

やっと仕事中に行った各国の事が書き終えた。 何を書こうかな?と最初は考えたけど、やっぱり何かに記録しておかないと、私の人生の大切な時期に、いろんな国に行って、いろんな民族、人種と仕事をしてきたヒストリーをどこかに書き留めておかないと絶対に後悔するなあって仕事を辞めてから考えていたけど、なかなかスタートが切れなかった。 でも仕事を辞めても、海外で仕事をしてきたクライアントや友人たちのことをいつまでも心の中にとどめておきたい、思い出したい!! 年齢とともに忘れやすくなってきた私! 少しだけ頑張ってみた。

他、カナダ、アイルランドにも行っているが仕事ではない! 
パキスタンも行きそびれたし、他イスラエル、ロシア、ペルーにも!  政治や治安の問題などがあり、行って市場を自分の目で調べて開けれるかどうか確認したかったけど、できなかった。

人種が違えば、やはりデザインや好みのカラーも違う。 当時日本人は、日本で売れているものが絶対に世界でも売れると思って押し付けながら営業をしてきたけど、私は各国回って、そして商談をしたり、現地の人たちといろんな話をしたりする中で、やはり国ごとに微妙に違う。 日本製ということに関しては、品質が良い! そして代表的な自動車会社やレンズの会社、カメラ、ミシンなどの広告があちこちに掲げられていたのを思い出す。 だからと言って、日本の眼鏡が売れるか? 
その国を理解し、顧客を理解しなければ物は売れない! それを私自身学んだ。 市場を開くのにすごく時間がかかった国もある。 なぜなら私が女性だからと言うこともある。 中東などはやはり時間がかかった。 でも思いは通じた。 そしてイタリアやフランスの展示会では、中東からのクライアントがいつも尋ねてきてくれた。 他のスタッフはびっくりしていた時もあった。 

南米も私にとってはかなり大変だったけど、しつこさと、粘り強く、そして徹底的にこれだと言う企業をアタックしたことによって、 クライアントがドアを開けてくれた国もある。

絶対に取引をしたい、そんな思いで その国に乗り込んで行ったあの頃。 
どこに行っても KEIKOという名前はみんな覚えてくれていた。 辛いときも悲しい時もたくさんあった。 絶対に無理だと言われたヨーロッパのチェーン店とも商談をして、ビジネスができた!

一つ一つの市場を開けながら、私には自信を得、そしてその国々の人たちのことを必死で理解するようになっていた。 交渉の仕方もいろいろ学んだ。 交渉もやはりコツがあったが、一番大切なことは、自分を信頼してもらうこと、そして信用と言う言葉で繋がったら、仕事は進む。 もちろんビジネスとして成り立つかどうかは、市場や商品にも係わってくるので、自分が得た情報は必ず日本に持ち帰って知らせた。 それがなかなか通じなかった時もある。 でも生の情報を日本にいるスタッフに流した。 色もつけずに、ダイレクトに。 そんな中、各国の 文化にも触れ、歴史も少しだけ学んだ。 

本当に大変だった市場開拓。 日本の事務所で仕事していた時には、朝早く会社に出て、南米と連絡、交渉。 お昼はアジア。夕方からヨーロッパと、一日大体13時間ぐらい働いただろうか。
過労で会社で倒れた時もあったけど、でも自分のため、海外のクライアントと仕事するのが本当に楽しかった! 一回の出張は大体3週間。 時々3週間で7カ国を訪問した時もあった。

南半球から、北半球に数時間で飛んで仕事して、体調を崩したこともあったけど、でもいつも一人。
ホテルに戻って、急に胸が痛くなって動けなくなったこともある。 風邪を引いて、高熱がでて、トルコでクライアントに抗生薬を買ってもらったときもある。 病院に滞在したのは インドネシアだけ!
あ、インド、スリランカの出張後も、日本でとりあえず病院に行って全身検査をしてもらった。
肝炎がやはり恐怖だった。  
帰りの飛行機の中で、高熱が出たこともたびたびある。 フライトアッテンダントに薬をもらって、ほとんど意識もはっきりせず、 関空について目が覚めたこともある。 本当によく辛抱してくれた私の体と心臓。 もちろん各国では クライアントが私のことを本当にケアーしてくれたからでもある。
一人での旅、でも現地に行けば仕事、家族、友達がいつも回りにいてくれた。 本当に感謝である。

何とか出張を無事に終えることが私の仕事。 シンガポール航空をよく使い、時々アテンダントに、あら また出張?とか言われた事もあるほど、アジアやオセアニア、中東に行く時には使ったSQ.
昨年も数年ぶりに乗ってシンガポールとインドネシアに行ってきた。 懐かしい空港。 3年でこうも変わるかというぐらいかわっていたシンガポールとジャカルタ。 

1990年代とは大違い。 

Singapore airline

シンガポールの空港で一晩 夜を明かしたことも何度もある。そして次の国に!

中東やヨーロッパで絶対に乗らないでおこうというキャリアーもあった。 乗らなくてよかったということもたくさんあった。 

本当に忙しかった30代! でも充実していた! またみんなに会ってみたい!!
どこかで。 またいろんな仕事をしてみたい。 こんな年齢になっても。 

地球をどれだけ回ったんだろうか? きっと何十周もしていると思う! 私の人生、 MR.JOJIの一言で変わった。 後悔しないように、行けるときに行っておいで。 アメリカに行って良かった!いろんな人に会って良かったと思う。 

Hi! sorry I have not written so many days and days. I did not feel I could write in English! I have sort of wave which I really want to devote my writing or not.

Anyway, I have finished writing all the way where I had visited during my working period as well as my studying in the US.

It is good for me to write those stuff because my memories would be fading away year by year but once I just wrote like this, I would recall many things when I read it.

I could not visit Israel, Russia and a couple countries in South America because of unstable governements situation, problems with countries relationships or---.

I was lucky enough to see so many countries without seriose problems myself but I know there were so many wars and terrorists attacked during my traveling period,too.

We would never learn anything from our history? I still have this kind of questions myself.

There are still fightings, war and terrorists attacks in this world every day and many innocent people have been killed by one way reasons.

With regards to my previouse working, I had learned so many things about fashion, tastes and technical things which I still love to be back to work! It is an interesting things to disucss about fashion and products with different countries and races.

But optical designs also will repeat every 7-8 years!
I have 3 eye glasses for my daily life and all of them are made in Japan! It is comfortable to wear and good quality.

The other day, I was watching TV and Kazuo Kawasaki showed up! I know him so many years because he also designes so many optical glasses. I enjoyed watching that TV programs and I started missing my work!!

Well, I would have any opportunties to go back or work with optcail line, I would be---.

Again, thanks to my great friends in this world and I still am in this planet to work for different lines own!

I love to meet up many people and see worlds.

There is F1 race in Singapore now and I could not believe F1 will be held in Singapore at frist but they made it. My time and now are very different in each country!

When our government will be stable? No one knows.


Chile

Chile-Wikipedia

南米最後の出張国は、チリ! サンチアゴで仕事をした私。南米のスイスだったかな? とにかくヨーロッパからの移民が多い国だって聞いていた。 まったくチリに着くまではどんな国かもわからず、何があるのか?政治、経済まったく無知な私でしたが、ある程度数社目処を行く前につけておいて、そこをアタックしていた。 もちろんチリではかなり大きな企業であったので、入り込むには困難だった。

親子で経営する企業で、お父さんが社長で、私とまず交渉をし、そして息子さんと交渉!
彼らともよく ヨーロッパの展示会で会って 商談を進め、1年ぐらいかかって取引開始!
国の規模からしても、それほど大きな仕事はできないことは最初からわかっていたけど、
でも少しずつ、売り上げも増えてきていた。 アルゼンチンの経済危機の時も、かなりチリも影響を受けたようだったけど、でもコンスタントに輸出をしていた。  

サンチアゴもほとんど観光した記憶がなく、ひたすら市場調査と商談! とにかくホテルとオフィスの往復しか記憶に無い。  クライアントが食事に連れて行ってくれ、美味しいチリ料理を食べたのも記憶にあるが、何を食べたのかまったく??  それほど緊張しながら仕事をしていた当時!
もう少しあちらこちら見たかった。 でも取引先の社長さん、息子さんは本当に私のことをいつも
KEIKOと呼んでくれ、 親切にしていただいた。  
南米の果ての国、でも綺麗だし、山には雪も降り、有名スキーヤーもいる。 本当にどこか 他の南米の国々とは違う景色だった。 

南米最後の訪問国、チリからアメリカのマイアミだったろうか?経由して日本に帰っていた。
南米への出張にも ものすごいエネルギー、時間、そして仕事の量が待っていた。 でも
いつもやってみなければ、行って見なければわからないという気持ちがあった私。
でもよくもまあ チリまで行ったなあ! よくチリまで行くなとか 他企業の営業部長に言われたりしていたけど、 でも市場は開いてきた。 粘りとそして下調べ、それから根気よく電話やファックス、メールでの交信もした。 だから、私の労働時間は異常だった。 若かったからできたかもね。 

チリ、モアイ像なども見てみたかった!いっぱい観光もしたかった!! でもチリに足を踏み入れて仕事ができたことだけでも、私にとっては良い経験だった。 

Chile-Wikepdeia

Chile was far away from my life what I used to think when I was working. However, when I started developing and openiong markets in many countries, I did not feel Chile was not far like what I used to think before.

But it was very far because I had to fly from Japan to the US somewhere in Miami or Dallas to Sao Pauro and then fly to Buenos Aires and then Sanchiago! Well, it took around 2 days to reach to Chile.

I had no idea what kind of country Chile was and I had no idea about country and people at all before. I asked a couple my friends who deal with Chile market and they gave me some idea. But I had to find a reliable firm myself and negotiate. It was not easy to start negotiating with any firms from Japan but I never gave up to negotiate with one firm which I felt this was a firm I had to deal with and the firm was a very sucessful firm in Chile.

I visited the firm to negotiate a big boss at first and then talked to his son! yes, it is family firm but very big organization in Chile. When I represented our products to them, they felt the designs and colors would not be suitable for their market and we had to consider design for S. America market. Well, this was not easy but we also had to expand our market for the US and I felt I had to discuss with person in charge for the US.

Anyway, I just visited their office and I did not rememeber any places where I visited except their chain stores or shopping mall to check Chile market.

I also was invited a lunch by them and I supposed to eat something Chile dishes but did not recall at all. Well, I know I was very tense to be in Chile always and also very poor sleeping time myself brought me luck of memories.

Slowly our biz in Chile was picking up and I made an appointment with them in Italy or France when an international EXB. was held.

I only remember I saw very high MTs. in Chile and I heard many famouse skiers there.
People come from other countries to ski in Chile. Because I also used to do a lot of skiing in the US when I was studying in the US.

It is beautifil country and I should have visited many places when I was in Chile but I could not.
But I met a very nice family and dealt with the firm myself. So I had no regret myself at all!

プロフィール

sorawamarude

Author:sorawamarude
いろんな夢を持って 海外に飛び込んだ若い頃、やはりB型だわとよく言われた私です。
I had a lot of dreams when I was working and visited so many countries as my biz trip let me open my eyes to know the real world.

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